お招き
「素晴らしい人生をあなたに」
春になると、教会のすぐ近くを流れる江戸川の土手には菜の花が一面に咲き誇り、春の訪れを知らせます。
私たちの住む日本は、四季折々に様々な風景を見せてくれます。
私たちの人生にも四季があります。
人生の中で、楽しい時、悲しい時、苦しい時を私たちは過ごします。そのひとつひとつの出来事を、無意味なものとしてではなく、一つのつながりの中の大きな意味を持つものとして捉えることができたらどんなに素晴らしいでしょうか。
聖書の言葉に「神のなさることは、すべて時にかなって美しい」(伝道者の書3:11)とあります。
今、あなたはどの時期をお過ごしでしょうか?
意味のない存在はありません。意味のない人生はありません。
聖書の言葉に照らされて歩む時に、私たちは、私たちの存在の目的と人生の意味を知ることができます。
神様の豊かな愛と深い配慮を知ることができたら、私たちの命は、朽ち果てて終わるものではなく、永遠の神の愛の交わりにつながっていることを知るでしょう。
ぜひ、平和台恵教会に来ていただき、ともに真実なる神様の愛の中を歩みましょう。
牧師紹介
奥山 信(おくやま まこと)
1965年、福島県郡山市生まれ。
1~8歳までインドネシアで育つ。
長野県にある松原湖バイブルキャンプで 10年務める。
神戸改革派神学校卒業後、長野県の須坂聖書教会で10年牧師をし、2012年春より平和台恵教会に赴任。
沿革
1989年に吉持章牧師夫妻と吉崎夫妻の2組の家族で開拓伝道が始まりました。習志野、松戸、津田沼をリサーチする中で流山市に導かれました。
集会場所
1989年 4月 | 流山市平和台3丁目2-12 フジハイツ平和台 203号 吉崎進主事宅で礼拝を開始 |
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1989年12月 | フジハイツ205号室を追加借用 |
1990年 5月 | 「こどもの家わらしこ」2階に移転 |
1992年12月 | 流山市加1689 鈴木ハイツに移転 |
1998年 6月 | 流山市加6-1287-1 現会堂に移転 |
2015年 11月 | 現会堂のリフォーム |
教師の異動
1989年 4月〜 | 吉持章が牧師として就任し開拓開始 |
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1992年 4月 | 伝道師として林明信師が就任 |
1994年 4月 | 伝道師交代、小針順子師就任 |
1995年 4月 | 伝道師交代、井上みちる師就任 |
1996年 4月 | 伝道師交代、鴨藤節子師就任 (2005年9月結婚し吉持節子に) |
2011年 3月 | 吉持章師夫妻が館山教会に転任 |
2011年 4月 | 伝道師として李ヒョナ師就任(菊池良一師が主任を代務) |
2012年 3月 | 李ヒョナ師が結婚し京都めぐみ教会に転任 |
2012年 4月 | 牧師として奥山信師が就任 |
その他
1992年 7月 | ラザロ霊園墓地を購入 |
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1995年 4月~ 2002年 3月 |
吉持厳信師夫妻を医療宣教師としてネパールへ派遣 |
2001年11月 | 墓地の墓石完成 |
2005年 2月 | 牧師館を購入 |
2009年 4月 | 宣教開始20周年記念 |
2014年 4月 | 宣教開始25周年記念 |
2019年 4月 | 宣教開始30周年記念 |
私たちの信仰の立場(信仰告白)
聖書の啓示するイエス・キリストを主とする公同教会の一員であり、聖書信仰に立って次の信仰を告白する。「我らは、聖書において啓示され、使徒信条をはじめとする公同の信条が言い表し、宗教改革において鮮明にされた信仰にもとづいて、次のように信じ、告白する。
1.旧、新約聖書66巻は、すべて神の霊感によって記された誤りのない神のことばであって、神の救いのご計画の全体を啓示し、救い主イエス・キリストを顕し、救いの道を教える信仰と生活の唯一絶対の規範である。
2.神は霊であり、唯一全能の主である。神は永遠に父と子と聖霊の三位一体であって、その本質において同一であり、力と栄光とを等しくする。
3.神は、永遠の御旨により万物を創造し、造られたものを摂理によって統べ治める絶対主権者である。
4.はじめに人は、神のかたちに創造され、神と正しい関係にあった。しかしサタンに誘惑され、神のいましめに背いて罪を犯し、神のかたちを毀損した。それゆえ、すべての人は生まれながら罪と悲惨、死の支配のもとにあり、思いと言葉と行為とにおいて罪ある者である。自分の努力によっては神に立ち返ることができず、永遠の滅びに至る。
5.主イエス・キリストは、父なる神のひとり子であって、聖霊によって宿り、処女マリヤより生まれたまことの神にしてまことの人である。主は我らに代わって十字架にかかり、死んで葬られ、よみにくだり、三日目に死者の中からよみがえり、我らのために贖いを成し遂げ、我らに永遠のいのちを与えた。主は天に昇り、父なる神の右の座に着き、大祭司として今も我らのために執り成している。
6.聖霊は、我らに父と子を示し、罪を認めさせ、赦しを与え、我らを新たに生まれさせ、神の子とする。人は、自分の行いによらず神の恵みにより、主イエス・キリストの贖いのゆえに、キリストを信じるただその信仰によって義と認められる。さらに、聖霊は、助け主、慰め主として我らの中に住み、我らを主と同じかたちに造りかえ、我らに御旨を行わせ、世の終わりまで我らとともにあり、我らをキリストとの共同相続人とする。
7.教会は、聖霊によって召し出された神の民、主イエス・キリストをかしらとするからだであり、羊飼いなる主の御声にのみ聴き従う羊の群れである。地上の教会は、再び来られる主を待ち望みつつ礼拝し、みことばを説教し、聖礼典を執行し、戒規を重んじ、聖霊の力によって全世界に福音を宣べ伝える。
8.終わりの時に、主イエス・キリストはみからだをもって再臨し、生ける者と死せる者とを審判する。主は我らをからだをもってよみがえらせ、我らをご自身の栄光と同じ姿に造りかえ、万物を新たにし、神の国を完成する。アーメン。