序.テヒリーム
・詩篇はへブル語で「テヒリーム」・・・「賛美」という意味。
・テヒリームは喜びの時だけではなく、苦しみ悲しみの中でも歌われる。
・詩人は自分の心の中にある正直な思いを神に訴える。
・納得できない不条理な苦しみと神への疑心暗鬼・・・10:1, 13:2, 42:9, 73:12, 94:3,
・苦しみの原因は、人間の罪と堕落のゆえ。罪により、闇に満ちた不条理な世界となった。
・詩人が期待するのは、ただただ神の救い。
1.幸せの鐘
・詩篇全体を覆っているのは「人間の幸せ」。詩篇は幸せの鐘が鳴り響いている。→1:1
・聖書が語る幸いは、神の知恵と恵みに根差し揺るぐことがなく、消えることもない。
16:2「あなたこそ私の主。私の幸いはあなたのほかにはありません。」
(1)訴える神がいることの幸い
・現実的に起こる苦しみ悲しみに耐えることは厳しいが、神に訴えることができる。→42:9
・信頼できる神に訴えることのできる幸いを教えている。
(2)自分の悲惨な状況を認めることのできる幸い →51:3
・自分の罪がわかると言うのは、自分の不幸の原因がわかっていること。
・地上で何かをもっていること、手柄をたてることが幸せなのではない。
・罪の問題が解決されない限り、本当の意味での幸せにたどり着けない。
・不幸の原因を知ればその解決策もわかる。自分の罪を神に赦していただくこと。→51:3, 25:18
(3)自分の罪が赦され、悲惨な状況から救われる幸い →32:1, 65:3
32:1 幸いなことよその背きを赦され罪をおおわれた人は。
(4)従うべき道がわかる幸い →1:2, 85:13, 119:1
1:2 【主】のおしえを喜びとし昼も夜もそのおしえを口ずさむ人。
(5)最終的にたどり着くところがわかっている幸い →23:6, 27:4, 65:4, 92:13, 122:1
27:4 一つのことを私は【主】に願った。・・・私のいのちの日の限り【主】の家に住むことを。
2.嘆きが喜びに
・詩篇の前半は嘆きや悲しみが多くあるが、後半になると賛美で埋め尽くされている。
150:6 息のあるものはみな【主】をほめたたえよ。ハレルヤ。
・詩篇全体のメッセージは、神が嘆きを賛美に変えてくださること。
30:11 あなたは私のために嘆きを踊りに変えてくださいました。私の粗布を解き喜びをまとわせてくださいました。
・「荒布を解き」とは、私たちの嘆き苦しみを神が取り除いてくださること。
22:1 わが神わが神どうして私をお見捨てになったのですか。
・上記の詩篇の言葉を、イエス・キリストは十字架の上で叫ばれた。→マタイ27:46
・罪のない主イエスが、全人類の罪を背負って神の刑罰を受けられたことこそが不条理の苦難。
・罪のある私たちが最後に叫ぶことになる絶望の言葉を主イエスが十字架の上で叫ばれた。
149:4 【主】はご自分の民を愛し貧しい者たちを救いをもって装われる。
・私たちが人生の終わりに口にするのは、嘆きの言葉ではなく、神への感謝と賛美となる。
・私たちがやがて入る神の家では、主にある家族と共に永遠に喜びの賛美をささげる。
・その喜びの出来事はすでに、私たちの毎週の礼拝において始められている。
・嘆きを賛美に変えてくださった神に、主イエスに、感謝をもって歩みたい。
30:12 私のたましいがあなたをほめ歌い押し黙ることがないために。私の神【主】よ私はとこしえまでもあなたに感謝します。