千葉県流山市/プロテスタントのキリスト教会です。

哀歌「哀しみの夜、喜びの朝」

序.涙の預言者

・哀歌の著者はエレミヤ。
・エレミヤの時代になるとバビロン帝国がますます勢力を拡大し脅威となる。
・エレミヤは涙の預言者。同胞の民たちが滅びに向っていることに心を痛め、涙を流し預言した。
・悔い改めない神の民に裁きが下り、南ユダはバビロンの捕囚とされ、民たちも涙を流す。

1.哀しみの夜の到来

1:2 彼女は泣きながら夜を過ごす。涙が頬を伝っている。彼女が愛する者たちの中には、慰める者はだれもいない。
・南ユダの民たちを未亡人にたとえている。哀しみの夜につき落とされた未亡人の叫び。
・「哀歌」とは、夜の闇の中で孤独と悲しみに打ちひしがれている絶望の歌。
1:5 彼女の多くの背きのゆえに、【主】が憂いを与えられたのだ。
・南ユダを滅ぼしたのはバビロン帝国だが、その背後に神の裁きの手があった。
・エレミヤの預言が実現した。神の裁きを軽んじ、罪を重ねてきた民たちの問題。

2.神の言葉の成就

・神の裁きを軽んじてはならない。神の言葉は生きていて必ず成就する。
・旧約の預言はその時代に起こることを語りつつ、現在の私たちにも語っている。
ローマ2:4-5 それとも、神のいつくしみ深さがあなたを悔い改めに導くことも知らないで、その豊かないつくしみと忍耐と寛容を軽んじているのですか。あなたは、頑なで悔い改める心がないために、神の正しいさばきが現れる御怒りの日の怒りを、自分のために蓄えています。
・神の言葉の確かさは聖書の記述からわかる。
バビロンの廃墟:南ユダがバビロン捕囚とされる前から、バビロン帝国の滅びも預言されていた。
→イザヤ13:19-20 …バビロンは、神がソドム、ゴモラを滅ぼしたときのようになる。
→エレミヤ51:42-43 海がバビロンの上にのしかかり・・・その町々は荒れ果てた地となり、その地は砂漠と荒れ地となり、だれも住まず、人の子が通りもしないところとなる。
・ペルシャ帝国に攻め込まれたバビロン帝国は廃墟となり、今も崩れたレンガの山。

3.聖書は生きている

・「聖書」は、歴史上何度も焚書処分の対象とされ燃やされてきた。
・エレミヤの預言の書を家来たちがエホヤキム王に読んで聞かせた時に焚書された。
→エレミヤ書36:22-25
・ユダ王国がバビロンに滅ぼされるとの預言書を、王は悪い書物だとし燃やしてしまう。
・エレミヤは神の預言を覚えていたので、それを再度口述筆記させた。→エレミヤ36:32
・ローマ帝国からも迫害を受け、聖書を徹底的に燃やされた。
・しかし、聖書はなくならなかった。聖書を書き写す写本家が次々と出てきた。
・聖書の耐久性は2000年の歴史が実証する。啓蒙主義の時代、聖書は無くなると言われた。
・しかし、現在では、2011の言語に翻訳され、毎年5億冊以上売れている。(2000年の統計)
マタイ24:35 天地は消え去ります。しかし、わたしのことばは決して消え去ることがありません。
・聖書は生きた神の言葉、人々に救いと希望を与える福音の言葉。

4.喜びの朝の到来

・神の言葉の中に、私たちの希望と平安がある。
・エレミヤはエルサレム崩壊、南ユダのバビロン捕囚の現実に絶望し嘆く。→3:1-5
・それでもなお神の愛と真実に信頼するエレミヤは、希望の光を見た。→3:21-23
・エレミヤは夜の闇の中で朝の光が来るのを見た。
・どんな状況にあっても、神に期待し信頼し続ける者に、新しい希望の世界が開かれる。
・私たちの悲哀、苦しみ、死の絶望を引き受けてくださるお方、それが救い主イエス・キリスト。
・救い主キリストによって、夜の零時で終わる人生が、新しい喜びの朝に向かう歩みとなる。
・神なしの人生の最後は暗い夜で終わる。
・神の言葉に信頼する者の歩みは、哀しみの夜から喜びの朝に向かう。
哀歌3:23 それは朝ごとに新しい。「あなたの真実は偉大です。
・人間の力では手にすることができない喜びの朝を、イエス・キリストによって迎えることができる。

聖書66巻

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