序:目的地
・人生において重要なことは、最終目的地。目的の不明確な人生は、絶えず不安がある。
・地上で得た栄誉は尊いものだが、やがて忘れられ朽ちて行く。
・人生の最終目的をはっきりさせることが重要。
1:21 神の愛のうちに自分自身を保ち、永遠のいのちに導く、私たちの主イエス・キリストのあわれみを待ち望みなさい。
・聖書は、主イエスを信じる者の人生は「永遠のいのち」に至ると約束する。
・「永遠のいのち」とは、地上の人生の永遠性ではなく、神とのいのちの交わりに永遠に生きること。
1:間違った教え
・この手紙を書いたユダはイエス・キリストの兄弟だったが、キリストの救いを伝える宣教者となった。
・ユダがこの手紙を書いた当時、ローマ帝国の迫害と誤った教えが教会に入り込んでいた。
・誤った教えは信者の信仰を弱体化させ、「永遠のいのち」の恵みを見失わせる。→1:4
・1:4「神の恵みを放縦に変え」…全ての罪も赦すから、いくらでも罪を犯しても良いという誤った理解。
・誤った教えのわずかな種が教会全体を腐敗させるため、ユダは警告と訓戒を与える。
2:信仰者の問題
・誤った教えは外から来るが、教会の内部の信者たちの弱さや不信仰がそれに呼応する。
・誤った教えに呼応する信者たちの中にある問題点をユダは指摘する。
(1)「不信仰」の問題。→1:5
・ここで言う不信仰は、名ばかりのクリスチャンで、心から信じていないこと。
(2)「高慢」の問題。→1:6
・天使の中には神になろうと高慢になり、堕落し悪魔の手下になった者がいる。
・信仰者にとって「へりくだり」は変わることのない重要な信仰姿勢。「高慢」はやがてさばかれる。
(3)「肉の欲」の問題。→1:7
・ソドムとゴモラの町の人々は、その場限りの欲望を追い求め、不道徳な生活を送っていた。
・地上での満たしのみを求め罪に放縦し、信仰や教会を後回しにする者には神の裁きがあると警告。
3:永遠のいのちへ
・間違った教えに振り回されず、行くべき目的地にたどりつくための姿勢をユダは示す。
(1)聖なる信仰に立つ。→1:20
・「聖なる信仰」とは「不信仰」と真逆。神をまっすぐ見つめ、神の言葉(聖書)に純粋に従おうとする心。
(2)へりくだって待つ。→1:21
・信仰者は終わりの日に「永遠のいのち」を、主イエスを通して受け取る。
・高慢な歩みではなく、へりくだって主イエスを待ち望みたい。
(3)神の愛のうちに自分を保つ。→1:21
・「神の愛のうちに自分自身を保ち」とは、肉の欲ではなく、神の愛の中に自分を置き続けること。
・「聖なる信仰」をもって歩む者は、自分の信仰を守るだけでなく、迷いの中にある者を助ける。
・誤った教えで罪に陥っている者たちを救い出すには警戒が必要。→1:23
・罪を犯しているその人自身を愛しあわれむが、その罪に対しては毅然とした態度をとるべき。
・キリストは罪人の私たちを愛されるが、罪は忌み嫌う。
・「聖なる信仰」に立って歩むならば、私たちの歩みは「永遠のいのち」に向かう。
・「聖なる信仰」に立って歩むならば、罪に陥っている者たちを助け出すことができる。