序.旧約の歴史
・創世記からマラキに至るまでの大きな流れは、神が人間との関係を回復しようとする歴史。
・イスラエルは神との関係を回復してもすぐに逆らった。その繰り返し。
・ついに神は決定的なさばきを下す。それが、バビロン捕囚。
・すべてを失ったかのように見えた民だったが、信仰と希望と愛だけが残っていた。
Ⅰコリント13:13いつまでも残るのは信仰と希望と愛、これら三つです。
・バビロン捕囚の解放後、帰国し神殿を完成させたが、イスラエルは信仰的に衰える。
・再び、神への礼拝がおろそかになり、国内に不道徳がはびこり、結婚が汚された。
1.最後の預言者
・そこに旧約最後の預言者マラキが立てられた(紀元前430年頃)。
・神は同じ過ちを繰り返すイスラエルに、預言者マラキを通し旧約時代の最後の宣告をされた。
→1:1~2 「わたしはあなたがたを愛している。──【主】は言われる
・愚かな行為を繰り返す民たちに対し切り捨てることをせず、愛することを宣言。
・しかし、民は神の愛をはねのける。→1:2「どのように、あなたが私たちを愛されたのですか」
・民たちは、神殿を再建したにもかかわらず状況が好転しないことに不満を抱いていた。
・神は神殿という建物を求めていたのではなく、民たちの愛を求めていた。
・神は真実の愛の交わりを、人間に求める。
2.愛の無い交わり
・人間が地上で生きる上で必要なものは多くあるが、最も重要なものは神への信仰と希望と愛。
・イスラエルは、この世のものを強く求めるあまり、神への「信仰と希望と愛」が腐敗していった。
・マラキの時代は、特に三つの具体的な問題が指摘されている。
(1)献げ物(奉納物)の問題。→1:13
・民たちは神殿を再建し、神への礼拝を回復させていたが、いい加減なもので愛が欠落していた。
・神が願っておられるのは、神への愛の表れとしての心からの献げもの。
(2)離婚問題。→2:15-16
・捕囚から帰ってきた男性たちは土地の権利を手に入れるために、妻を捨て新たな結婚を求めた。
・この世の一時的な利得のために愛を軽んじた。愛することにおいて不誠実な態度。
(3)献身の問題。ローマ12:1あなたがたのからだを、神に喜ばれる、聖なる生きたささげ物として献げなさい。それこそ、あなたがたにふさわしい礼拝です。
・礼拝とは神への献身だが、神への献身がなされていないことの問題を指摘。→3:7
・「神に帰れ」とは、神に自分自身を献げよとの献身の求め。
・献身とは、自分自身は神のものであるとはっきり示すこと。→3:8-10
・献金は救いの条件ではなく、感謝の応答として自由に自発的に献げるもの。
・「盗んでいる」と言われているのは、私たちの体と命。十分の一献金は、神への献身を意味する。
3.愛に生きる祝福
・神が以上の三点から語っていることは、神の愛に応答し「信仰と希望と愛」を求めて生きること。
・その反応は二通り。一つは神の言葉を軽んじる者たち。→3:14-15
・もう一つは、神の言葉に真剣に耳を傾け、主を恐れて真摯に従おうとする者たち。→3:16
・「語り合った」とあるが、神の言葉を聞き、共に悔い改めをし再献身を誓った者たち。→3:17
4:2 しかしあなたがた、わたしの名を恐れる者には、義の太陽が昇る。その翼に癒やしがある。あなたがたは外に出て、牛舎の子牛のように跳ね回る。
・神の愛に向かって生きている者は現状に甘んじることなく、さらに神への愛と献身に向かう。
・神が私たち人間に表された最大の愛は、ひとり子イエス・キリストを私たちに与えること。
4:2 しかしあなたがた、わたしの名を恐れる者には、義の太陽が昇る。その翼に癒やしがある。
・神は、私たちに愛を余すことなく与えるため、ひとり子イエスを惜しむことなく与えてくださるお方。
・クリスマスは神の愛と献身の表れ。私たちもそれに応え、神を愛して歩みたい。
・互いに献げ合うこと。それが愛の交わりを深め豊かにする。