千葉県流山市/プロテスタントのキリスト教会です。

ゼパニヤ書「神がおられる場所」

序.神のはどこに

・「神はどこにいるのか」、それが人間の大きな問い。
・預言者らは神の居場所を指し示し続けた。

1.ゼパニヤの時代

・ゼパニヤの活躍したBC600年前後には預言者が多くいた。南ユダの滅亡が接近していたため。
・南ユダ王国はマナセ王時代に偶像と不正が横行し、信仰的にも道徳的にも最悪だった。
・次のヨシヤ王は偶像を取り除き、宗教改革を行った。
Ⅱ列王記23:25 ヨシヤのようにモーセのすべての律法にしたがって、心のすべて、たましいのすべて、力のすべてをもって【主】に立ち返った王は、彼より前にはいなかった。彼の後にも彼のような者は、一人も起こらなかった。

2.ゼパニヤの預言

・ヨシヤ王が信仰的に影響を受けたのが預言者ゼパニヤ。→1:1
・ヨシヤ王はゼパニヤの預言を聞きながら、幼少から青年時代を歩んだ。
1:4~1:6【主】に従うことをやめた者ども、【主】を尋ねず求めない者どもを断ち切る。
・ゼパニヤが強調して語るのは神の裁きがくだる「主の日」。→1:7ゼパニヤ書では7回。
・「主の日」は、神が裁きをもってこの世界に介入される時。→1:15
・ゼパニヤの預言を聞いて、心砕かれ悔い改める者もいた。ヨシヤ王もその一人。
・へりくだり、神の正義を求める者たちに神様は次のように語りかけた。→2:3
(へりくだった者とは、自分の罪を認め神の救いを求め、神に信頼して歩む者)
・たかぶり、神の審判をあなどる者たちは非難された。→3:1~2

3.高ぶる者、へりくだる者

・「主の日」がすぐに来ないため、へりくだる者より高ぶる者の方が得をしているように見えた。
・神は主の日が来るまで忍耐して待つように言われた。→3:8それゆえ、わたしを待て。
→3:11・・・おごり高ぶる者どもを取り除くからだ。
→3:12・・・わたしはあなたのただ中に、へりくだった、貧しい民を残す。
IIコリント5:10私たちはみな、善であれ悪であれ、それぞれ肉体においてした行いに応じて報いを受けるために、キリストのさばきの座の前に現れなければならないのです。
・イエスの十字架の救いを受け取らない者たちには、イエス様の再臨は、裁きと滅びの恐怖の日。
・イエス様を信じてまことの神に立ち返るならば、その日は救いの日、喜びの日となる。
・信仰の歩みは「主の日」を待ち望む時に真価が表れる。
ルカ21:27-28「そのとき人々は、人の子が雲のうちに、偉大な力と栄光とともに来るのを見るのです。これらのことが起こり始めたら、身を起こし、頭を上げなさい。あなたがたの贖いが近づいているからです。」

4.神がただ中に

・信仰者にとって「主の日」が来るまでの歩みは何の恵みも喜びもないのかというと、そうではない。
→3:15 ・・・イスラエルの王、【主】は、あなたのただ中におられる。
→3:17 あなたの神、【主】は、あなたのただ中にあって救いの勇士だ。主はあなたのことを大いに喜び、その愛によってあなたに安らぎを与え、高らかに歌ってあなたのことを喜ばれる」と。
・「主の日」が来るまで、神ご自身が、神を信じへりくだった者たちのただ中におられる。
・今、イエス・キリストは肉眼では見えないが、すでに信じる私たちのただ中におられる。
・教会の宣教の働きを人の知恵や力ではなく、ただ中におられる神により頼んでいくことが幸い。
→マルコ4:35~40
→3:17 あなたの神、【主】は、あなたのただ中にあって救いの勇士だ。
・「救いの勇士」とは、最終的な勝利をもたらすお方であることを意味する。
・共にいてくださる神は救いの勇士であり、私たちがより頼むべき力。
・「主の日」に向かって、体をまっすぐにし、顔を上げ、希望をもって歩んでいきたい。

聖書66巻

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