千葉県流山市/プロテスタントのキリスト教会です。

ミカ書「絶望が希望に」

序.何を中心にするか

・人間は自分が中心だと考える。自分を中心に行動を決めることは、自己中心の罪が潜んでいる。
・聖書は自分でも他人でもなく、神を中心にすることを語る。→ミカ6:8
・聖書が語る神中心の生き方は、私たちが本当の意味で自分らしく自由に生きること。
ヨハネ8:31-32 もしあなたがたが、わたしのことばにとどまるなら、あなたがたはほんとうにわたしの弟子です。そして、あなたがたは真理を知り、真理はあなたがたを自由にします。

1.サマリヤとエルサレムへの裁き

・ミカは、イザヤやホセアと同時代(BC750~680年)の預言者。→1:1
・北イスラエルも南ユダも異教の偶像が町中に蔓延し、神の裁きがくだろうとしていた。→1:3
・「地の高いところ」への裁きとは、人々が信頼をおいている場所。→1:5
・サマリヤとは北イスラエルの首都。エルサレムは南ユダの首都。国の中心に偶像が祀られていた。
・周辺諸国が自由きままに都合のよい偶像を拝んでいたことをうらやむイスラエルの王たち。
・アッシリヤ帝国の勢いを見た南ユダのアハズ王は、アッシリヤとの友好関係を求める。
→Ⅱ歴代誌28:21~25
・それゆえ、神は偶像の満ちたサマリヤとエルサレムの町に裁きを下すと言われた。→1:7

2.支配者たちへのさばき

・2章では支配者たちに対する裁きを語る。支配者とは王や国の高官、裕福な者たちのこと。
・私利私欲のために権力をふるい、弱者を苦しめ土地を奪う横暴を行っていた。→2:2-3
・このような事態に陥ったの、神様中心ではなく、自分中心になっていたから。
・支配者たち裕福な者たちは自分の欲望だけを満足させ、弱者たちは絶望のどん底にいた。
・しかし、この世の見える世界を超えた神が正義をもって裁かれる時が来た。→1:3
・北イスラエルはアッシリヤ帝国によって攻め込まれBC722年に首都サマリヤが陥落。南ユダはBC586年にバビロン帝国に攻め込まれ、首都エルサレムが陥落。
→6:8 主はあなたに告げられた。人よ。何が良いことなのか。【主】は何をあなたに求めておられるのか。それは、ただ公義を行い、誠実を愛し、へりくだってあなたの神とともに歩むことではないか。
・「公義」とは神の判断に従って行動すること。その反対は自分の好みや時代の価値観に従うこと。

3.小さき者への希望

・神は横暴な支配者たちに厳しい裁きと戒めを語ったが、弱者たちには救いの言葉を語る。
→5:2 ベツレヘム・エフラテよ。あなたはユダの氏族の中で最も小さいものだが、あなたのうちから、わたしのために、イスラエルの支配者になる者が出る。その出ることは、昔から、永遠の昔からの定めである。
・「小さいもの」とは単なる弱者ではなく、この世の価値観を超え、まことの神に信頼を置いている者。
・ベツレヘム・エフラテは小さな田舎町。救い主誕生の預言は大きな希望になった。
・この預言後、南ユダ王国もバビロンに滅ぼされバビロン捕囚となって捉え移されたが、小さき者たちは救い主の誕生を信じ、神への信仰を貫き通した。→5:7
・ミカの預言から700年後、確かに救い主イエスがベツレヘムでお生まれになった。
ローマ5:5この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛
が私たちの心に注がれているからです。
・神様のくださる希望は必ず実現する。ベツレヘムの小さき者たちはキリストへの希望を持っていた。
・私たちも、イエスが再び来られることを待ち望み、信じて歩んでいる。
Ⅰペテロ1:8 あなたがたはイエス・キリストを見たことはないけれども愛しており、いま見てはいないけれども信じており、ことばに尽くすことのできない、栄えに満ちた喜びにおどっています。
・この世にあっては、私たちは艱難があり、病気や様々な問題を抱え、大切なものを失うことがある。しかし、どんなに現実が絶望的であっても、神様を中心にして歩む時、そこに光が注がれキリストにある希望を与えられる。キリストにある希望だけが、私たちを確かな未来へと導く。

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